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内なる成長を確かに感じた旅だった(1)

心にうかんだこと

先ごろ、週末に宮古島へ出かけました。

お天気にも恵まれて、
地元の方に「あなたラッキーね!」
と言われること複数回。

与那覇前浜ビーチにて撮影

絵葉書から抜け出したような
こんな感じの景色を、
たくさん目にすることができて、
すごくリフレッシュできました。

わたしが変化したと気付いた。

宮古島は何度か訪れているお気に入りの場所です。
前回訪れたのは6年くらい前。

今回はなんだか、前回と比べると、
楽しくて余裕があって、
小さなラッキーもたくさんあったのです。

6年前も訪れた、とある場所で、
ふっとハラ落ちすることがありました。

「あ、そうか。わたしが変わったのだな。」

これから、このハラ落ち体験について、
お伝えしようと思います。

乱暴にまとめると、
「6年前は、外側に依存気味だったな」
「いまは、内側が強くなったな」
ということになります。

これから書く内容には、
一部のスピ業界にとっては、
ちょっと具合が悪いことも含まれるでしょう。

それは、わたしと異なる立場の人を、
ここで断罪する意図ではありません。

あくまで、ひとつの視点の提供として、
広い視野、深い洞察力を持って、
自分を客観視するきっかけとして、
わたしの言葉が響くところに届いたらいいな、
という思いで伝えております。

気づいたその場所は大神島

大神島については、検索すれば多くの情報が出てきます。
久高島と同様に、島全体が聖域と言われています。

いわゆる「人を選ぶパワースポット」と捉えることもできそうな、
センセーショナルな記述も多く見受けられます。

宮古島から船で15分ほどですが、
1日4便程度、小さな船での運航であり、
波が高ければ欠航になることも多いため、
物理的アクセスは至便とは言えません。

また、みだりに立ち入るべきではない聖域が多く、
特に神事が行われる時期は、立ち入れない場所も増えて、
心理的なアクセスもオープンな雰囲気ではありませんが、
自然や訪れた土地、お住まいの方々に対する敬意を持っていれば、
特に問題視するような要素ではないと思います。
(パワスポリトリートブームについては、
ちょっと言いたいことがありますが、
今回の記事では割愛します。)

「呼ばれないと行けない」に反応していた

6年前に訪れたきっかけは、
当時よく拝見していた方のブログ。

「パワースポット」
「神様がいる」
「呼ばれないといけない」
これらのキーワードに、
敏感に反応していました。

宮古島に行く際には、
大神島に行くことが、
主な目的でもありました。

事前に船の時間を調べ上げて、
旅程の何日目のこの時間帯に行く、
ということまでしっかり決めていたのです。

今振り返ると「なんか必死だね」
という感じです。

「呼ばれないと行けない」ところに、
行けた自分はすごい。
という証拠が欲しかったのだと、
今では思います。

それほどまでに恋焦がれて行ったはずなのに、
実はほとんど記憶が残っていません。

むしろ、展望台まで登るのが暑くて大変だったとか、
どこをどう見たら良いかわからなかったとか、
ちょっとネガティブ寄りの記憶が残っています。

自分の内側は空っぽのまま依存していた

この時ってパワスポ全盛期。
わたし自身、アイデンティティ喪失後、
再構築の途中でもあり、
スピ依存気味だったんですよね。

パワーストーンブレスじゃらじゃらつけ、
パワスポはお願いしに行くところ、
行けばいいことがあるところ、
という感じ。

外側にエネルギーを向けていて、
自分の内側が空っぽのままでした。

自分が空っぽだとね。
自分を埋めようと一生懸命で、
世界との対話ができないのです。

対話ができていなかったから、
体験から真に何も受け取ることがなく、
何も覚えていないのかな。
と今では思います。

今回は執着依存なしの流れに乗った。

今回6年ぶりに宮古島に訪れたのは、
完全にリフレッシュ目的で、
キレイな海をみて、太陽を浴びて、
のんびりしようという感じ。

いわゆるパワスポ訪問には、
興味がありませんでした。

大神島だけではなく、下地島の通り池なども、
予定には入れていませんでしたし、
通りがかりに看板を見ても、
そのままスルーしていました。

この日は、地元の方に教えていただいたビーチに行くため、
池間島に向かってゆったり車を走らせていたのです。

この辺も景色が良さそうだな、と思って車をとめ、
降りた砂浜で沖を見やると、
こんな光景が広がっていました。

あの島の周囲だけ光っているようにみえるなー
あれは、大神島だよねー

次に降りた場所でも。

やっぱり、なんか光って見えるなー
不思議な感じするなあ。

ちょっと渡ってみようかな。
船の時間いつだろう?

という状態から、
大神島に渡ることを選択肢に入れて、
スマホを時刻表でチェック。

チケットは出航の20分前から港で販売なので、
時間になるまでは、
車で10分ほどのところにある喫茶店で、
のんびり本を読むことにしました。

チケットを購入していないこともあり、
「まあ、行っても行かなくても、どっちでもいっか」
「読書がはかどりそうなら、そのまま喫茶店にいてもオッケー」
という心情でした。

要するに、前回と比べて、
大神島に対する執着や依存が全くなかったのです。

それは、6年の間に、
スピ依存の状態だと、
自分のチカラを出す感覚を忘れてしまう、
イキイキと試行錯誤を楽しみながら生きていけない、
ということに気付いたことが大きいです。

特にこの3年くらいで、
見えない世界と見える世界の重なり合いを意識し、
地に足のついた考え方、生き方を、
自分なりに模索し続けてきた成果だろうと思います。
(この話もいつかお伝えできたらと思います。)

さて、執着依存なしの流れに乗った結果、
大神島に無事渡ることができました。

長くなってきたので続きますね。

 

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