わたくしは素朴な疑問を大事になさっていてそれを空気読まずに公にしちゃうタイプの人が好きです。
で、わたしの最近の素朴な疑問は、引き寄せの法則はどんな場面でも当てはまる100%の真理なのか。
もしそうだとするならば、例えば特に災害や悲しい事件についてはどのように説明するのかな、ということです。
だって法則っていうのは「いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」のことでしょう?基本的には。
集客上も「誰でもできる」的なコピーがついていたりしますしね。
というわけで、ちょっとだけ時間をとって自分なりにあれこれ考えてみたメモ書き程度のものですが、ご興味ありましたら読んでみてください。
A:100%の真理として引き寄せの法則の範囲内で説明する
「引き寄せの法則からすれば、低い波動のものは低い波動を引き寄せる、つまり低い波動の土地や人が多かった」「無意識に災害を望んでいた」
と捉えているのでしょうか?(悲しみなどネガティブとされる感情は周波数が低いとよく言いますよね?これを否定する人は引き寄せ論者にはいないでしょう?)
「そもそも人はいつか死ぬので、悪い結果ではない(人の死という最終結果だけに注目)」
と捉えるのでしょうか?結果の方をあえて低いという評価をしないことによって整合性を保っているように見せるのでしょうか?
引き寄せの法則が万能で真理、という前提に立っているのであれば、こんな感じの説明になっていくのは必然かと思いました。説明しようとすること自体に個人的には好感を持ちますし、前者に関しては潔いといえば潔い。
ただ説明内容に納得はしがたい、というのが正直なところです。縁のある土地で一生懸命に生きていた命の周波数を低いと評価できる器をわたしは持ちえません。また、特に残された者にとっての死に様というものを過小評価しすぎではなかろうか、という想いをぬぐえません。
つまりは、わたしは主に感情面で受け入れがたいと思っている、ということになります。
B:引き寄せの法則の適用除外・適用の前提を欠く場合がある等とにかく100%じゃないと認める
「引き寄せの法則はポジティブな場合のみ適用される(ネガティブな結果が起きた場合は無視する)」
という捉え方が万一あれば、たぶんお友達にはなれないなあという感じです(だったら「引き寄せの法則(ただしネガティブな結果が出た場合を除く)」と書いていただきたいわ)。結果次第で適用するかどうか決めるのであれば、それ法則でも何でもなくない??と思ったりします。(あくまで個人的なルールだというならまあOKかな。)
「「この世には引き寄せの法則だけでは説明できないことが結構ある(結果がポジティブだろうがネガティブだろうが無関係)」
普通ですけどわたしはまあこれかなと思いたいわけです。引き寄せの法則が全部ウソとは言いません。確かに良い気分でいるときに成果が得られやすいといった体感もあります(マンダラアートプチ体験は現状この体感をベースにしている)。ただ、この世の全部を説明し100%コントロールしている真理なの??という疑問があるし、そうであってたまるかという思いもあるわ、ということです。
鶏が先か卵が先かみたいなところがあるのですが、起きた結果に対する評価とそれに伴う感情に関しては、自分次第でどうにでもなる面は、確かにある。過去の出来事自体は変えられなくても、その評価を変えることはできる。その点は私も実感しています。ただ自分のコントロールが届く範囲みたいなものがあるのではないかと。自分のことは変えられても他人のことは直接変えられない的な。。。
スピ界でも流行りの量子物理学や量子力学のエリアでは、自分次第で目の前に現れる結果(状態)が変わる、という点では引き寄せと整合性があるように「みえる」記載があったりします(厳密には違うのかも?)。
「観測された波動関数が収束するのは、物体がどういう状態にあるのか、観測者の持っている情報が変化するということです。その情報の変化を数式化すると、波動関数の収束としてあらわされる」
「同じ物体を観測しても、すでにある観測をした人と、その観測をしてない人が見ると2人の見た波動関数は同じ物体でも違うんですよ」
「観測者の知識の状態を数式で表すと、波動関数になりますよということです」
「コンピュータの基礎理論を作ったフォン・ノイマンの『量子力学の数学的基礎』という論文には、量子力学の数学的な扱いが延々と書いてあるのですが、その中で何が波動関数を収束させているのかについてたった1カ所、“自我である”と書いてあるんです」
(抜粋)
「電子銃の銃弾(電子)は、二重スリットのどちらか一方を通過しているはず」と考えて、装置を使って電子の軌跡を追跡しはじめると、上記の(b)の状態が(a)の状態になってしまうのです。
これが観測です。人間の「観測をしよう」という意志によって、現象が変化してしまうのです。
(抜粋)
「もはや怪談、「量子コンピュータ」は分からなくて構わない [江端智一,EE Times Japan]」
(これらの記事の中には引き寄せの法則についての言及はありません。念のため。)
自分の説を裏付けそうな記載があれば、それだけを引っ張ってきて補強材料にしてしまうのは人間の性。わたしだってそういうところありますよ。
でも、この世で起きるすべてが、人間の思考のあり方一つに因っているとは、いくらなんでも考えにくいと。。
人間って宇宙の一部じゃないですか(人間そのものが宇宙ともいえる)。
人間の存在を過小評価するつもりはないけれど(DNAのうちまだよくわかっていない98%の領域に何があるかわからない)。
ただまあ、宇宙のことなんて、科学のレベルでも5%くらいしか判明していないし、
そもそも人間という存在が現状のまま認知できる範囲は限られているし、、、
とつらつら考えてみると、人間が短い歴史の中で見出した法則が、100%宇宙の真理だとは言い切るのは難しいよなあ、、
そんな冷静さを常に頭の片隅に持っていたいな、とわたしは思うのですよね。
「科学の常識」に囚われているわけでもなく、「スピの常識」に魂を売り渡しているわけでもなく。。
(自分は「神」あるいはそれに近い存在だから、自分が言うことだけは真理です、例外はありません、というタイプの方とも今のところお友達になれませんw)
とはいえ。肉体をもって現世に生きている以上、認知できる範囲で、コントロールできる範囲で、できるだけ楽しく生きていきたいと思うことに遠慮はいらないと思いますよ。そこを批判したいわけではありません。
ただ、法則だ真理だと他人に対して大きく言うのならば、例外があるのか、ないのか、くらいはしっかり認識した上で使っていきたいな、
囚われすぎずにいたいな、とわたしは考えています。
非論理的かつ稚拙な文章を最後まで読んでくださりどうもありがとうございました。