1. ご挨拶

    興味をもってくださりありがとうございます。

  2. プロフィール

    碧宮レイラの想いをお伝えします。

  3. 雑誌CREAに掲載されています!

    雑誌掲載のお知らせ

  4. お申し込みの前にご確認ください。

    お客様の利益を守るためにも。

本当は極彩色だったと言える世界であれ。

出会えてよかった本

10月下旬。昼間は夏日に近いけれど、朝晩は思わず身震いする冷えた空気に包まれる。一日にジェットコースターを乗り降りするような毎日ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

占いを超えたカードリーディングで不安のない近未来へナビゲート。心からの願いに光を当てながら自分の言葉で目標を立てるところまでサポートするから「歩んでいく道が楽しみになる」「漠然とした不安から解消される」とご好評をいただいている碧宮レイラです。

私は、旅と読書。余暇時間はこれに勤しんでおります。
10月頭には大好きな北東北の温泉でのんびりして、先週は久しぶりに九州に渡り、高千穂峡や阿蘇、糸島などをぐるりと回ってきました。

さて今日は、最近読んだ藤村シシン著「古代ギリシャのリアル」から学びのシェアです。

目の前にみせられている「昔のもの」が、本当の姿とは限らない。強い意図のもとに、姿形を変えられている可能性がある。
でも。
現実世界に散らばる欠片を、拾い集めようとする人がいる限り、本当の姿はいつでも浮かび上がってくるんだな。素晴らしいな。

ということに気づかされました。

古代ギリシャの例でいえば、パルテノン神殿や、各種彫刻は、私たちのイメージでは、真っ白な大理石。ではありませんか?

でも、古代のパルテノン神殿は、極彩色の豪華絢爛な、しかも祭祀を行う神殿というよりは、宝物庫のような役割だったし、彫刻も美しい色をまとっていたんですね。

しかも、古代ギリシャ人の表現する色というものは、表面的な色相というよりも、質感や性質をあらわすもの。生命力にあふれているとか、みずみずしい様を、緑色と結びつけていたので、緑色に滴る血と涙とか、緑色に輝くはちみつ、という表現をしたのですって。エーゲ海の青も、彼らの表現では、動いているものと結びつくワイン色と表現されていたというから驚きです。

ではいま見せられている「白亜の、白人の、古代ギリシャ」は何なのかというと、それは、西洋の人たちがそうであってほしかったギリシャの幻想が投影されているものにすぎない、という説があります。

これは、陰謀論とかではなくて、未決着の黒いアテナ論争(ドイツをはじめとする西洋諸国が、民主制や理性を大事にしていたギリシャ文明をアーリア人由来としたかっただけで、古代ギリシャはエジプトやフェニキアの影響を受けて発展したはずだという説。黒いアテナとは、この説のキャッチコピー的に使われる、アテナの肌は黒かったのではないかという著者の想定。)を経て、美術界における問題意識にも反映されている言説です。

この西洋の願望は、商業主義と相まって、このような事件にもつながったようですね。

1939年、あの大英博物館で、所蔵するパルテノン神殿の装飾彫刻(フリーズ)に対する破壊行為が発覚する! という大事件が起こりました。
職員が意図的にフリーズ表面に残された色を、何と、金ダワシでゴシゴシと削り取り、その結果、神殿の色彩は永遠に再現不可能になってしまったのです。博物館のスポンサーに「もっと白い方が、ウケる!」と命令されて、真っ白に磨き上げてしまったというのです。

何かを広めるために、あるいは自分たちを権威づけ、正当なものと主張するために、漂白したり、イメージを書き換えることは、どこにでも、もちろん日本でも、あるような気がしています。資料の少ない古い時代こそ、想像(創造)の余地があり、ある意味何でもあり、になってしまうリスクはある。そのストーリーに都合の悪い資料は黙殺されたりする。

古代ギリシャの極彩色の世界は、断片的に残る塗料のかけら等の存在と、それを集める人の手があったからこそ、説得力を持って浮かび上がることができたのが、稀有なことだと思いました。

先述の本には、古代ギリシャ人の考える「終末の日」について記載がありました。

父は子と、子は父と心が通わず、客は主人と、友は友とおりあわず、兄弟同士も昔のように親密な仲にはならない。親が年をとれば、子はこれを冷遇し、罵詈雑言を放ってそしるようになる。年老いた両親に育ててくれた恩義に報いることもしない。
そして強い者こそが正しいと考える輩によって、互いの国を侵しあう日が来るだろう。力が正義となり、「恥」という美徳は失われる。そうなれば人間には、悲惨な苦悩のみが残り、災難を防ぐ術もなくなるだろう。

この定義によれば、既に「終末の日」を迎えている私たちにできることは、私たちの心身を通して、この世を思いっきり感じて生きる。見ようとする。知ろうとする。そして感じたことをそのまま、どんなに不完全でもいいから、言葉にして放つこと。記録しておくこと。

それらが、もし、後世にまで、何らかの形で伝わることがあれば、広大で強い意図に基づく厚いバイアスを被せられた何かを、どんな色形であれ、本当の姿に戻す欠片の一つになるのかもしれません。

そんな欠片が少しでも多く残っていく世界であってほしいと、欠片をひろいあつめて本当はこんな姿だったんじゃないかと言える世界であって欲しいと、私は心から願っています。

先に紹介した本は、固い話だけではなく、ギリシャ神話(オリュンポス)のリアルなども、とっても読みやすく面白く書いているので、興味ある方はぜひ。

関連記事