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スラダン映画が最高だったっていう話。

心にうかんだこと

THE FIRST SLUM DUNKを観てきた。
涙の跡も乾かぬうちに、家に帰りつき、
パンフレットも観ないうちに、
こたつに潜ってこれを書き始めている。

「あの頃の私たち」には、もう戻れない。
「あの頃の私たち」のまま、生きられない。

そんな「あの頃の私たち」が、
映画の一部に溶け込んでいて、
全キャラと共に、いまを生きる私たちを、
熱く鼓舞する物語だったなあと思う。

実は、どんなトーンでこれを書こうか、
ちょっと迷った。

オタクっぽさ全開で
「みっちゃあーーーん♡」「作画がマジで神!」
「キャストの違和感はあまりない」
とか書いてしまおうか、とも思ったのだけれど、
消せないオタク臭はそのままに、
やっぱりここは、大人として、しみじみと書くことにする。

以下、映画のネタバレを含まざるを得ないので、
一ミリもネタバレを食らいたくない方は、
今ここで、そっと引き返すことをおすすめする

そして、もしよかったら、あなたが映画を見た後に、
もう一度、戻ってきて、読んでいただけたらすごく嬉しい。

わたしとスラダン

原作もTVアニメも、リアルタイムでガッツリ派である。

コミックスは発売当日に買うのが当たり前。
通学帰りに本屋で買い、
電車の中で読んでは、声に出して笑ってしまって、
肩をすくめたこと複数回。

TVアニメは、欠かさずチェック。
主題歌を一緒に口ずさみながら、
食い入るように観ていた。

大学受験を控えた受験生のときも、この時間を大切にしていた。
間違いなく、私の精神安定剤の一つだった。

推しは14番三井寿。コミック8巻から登場したと記憶している。

シンプルにビジュアルが好み。
挫折経験から這い上がっているところも心惹かれた。

才能もあって、真面目で情熱があって、
キラキラしていた中学MVPが、
怪我をして挫折、不良化。

人相も喋り方も、すっかり変わってしまう。

でも根っこはバスケットマン。

大好きなバスケができない鬱屈した感情を、
コントロールできなくて、嫉妬して、
暴力に走っていた自分を引き戻したのは、
やっぱりバスケ。

先生バスケがしたいです、と体育館で泣き崩れた後、
江口洋介風のロン毛から、
スポーツマン風のイケてる短髪にして、
バスケ部に復活したところで、私は完全に恋に落ちた。

オタク気質なので、推しと同一のものを欲しがり、
体育館用のシューズはアシックスにした。

球技大会でバスケ選手になった時は、それを履いて試合に出た。
流石に3ポイントは決められなかったが、
アシックスを履いて、振り向きざまシュートを放ち、
最後まで試合を諦めない思い出を作ったから満足だった。

(ちなみに、アシックスの由来は、「古代ローマの詩人ユウェナリスの残したラテン語の句「Anima Sana in Corpore Sano」(もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ)の頭文字を並べたもの」だそう。Wikipediaさんより。三井は不良と付き合っているときも、タバコは吸わなかったことと、関係あるとしたら、なんか胸熱。)

わたしと三井寿、ばかりを書いているが、
要するに、スラダンは、ただのスポ根漫画ではない、
ということが、私の心をとらえた。

三井のキャラ一つサクッと説明すればわかるように、
人間の弱さも強さも、しっかり描き込まれていた。

バスケの場面は、キャプテン翼同様に、こんなプレーできっこない、
と思わなかったといえば、それは嘘になる。

でも、なぜか、嘘くさいフィクションとは感じなかった

シリアスなシーンと、ギャグパートとのバランスが絶妙で魅力的で、
心地よいアップダウンだった。

高校生にして、すでに「ペラッとした人間描写の嘘くささ」への嫌悪感を持っていた、
生徒会役員の私は、部活少女ではないにもかかわらず、スラダンの虜になっていた。

1996年。
原作が突然終わりを迎えた時、私はすでに念願の大学生になっていた。
もっともっと先が見たかった、と心底残念に感じた。
同時に、いつか見られるだろうと思っていた。

でも時は、そのまま、流れた。

25年後。

映画のこと

観る前の期待値は100→60

2021年。コロナ禍真っ只中、スラムダンク映画の制作発表があった。

スラムダンク・映画というワードを見ただけで、
詳細がわからなくても、胸が高鳴る感じがして、
本当にすごく楽しみだった。

その後、いつだったか、公開日が2023年12月と知って、
オバハン、そこまでは絶対生きよう!!と思えた。マジで。

この頃になると、おそらくストーリーは山王戦だろう、
と予想がついていた。

それなら映像では誰も観たことがない。

昨今のアニメーション技術の進化が、
あのエピソードをどのように魅せてくれるか、
期待しかなかった。期待度100

いよいよ公開が近づいた2022年秋、
Twitterでは大きな盛り上がりがあった。

盛り上がりと言っても、
皆が両手をあげて喜んでいたわけではなかった。

オール新キャスト、OP曲ED曲も刷新、と言う発表。

わたし自身も、
TVアニメ版のキャストのままで、
TVアニメ版のOP曲ED曲のままで(特にWANDSの「世界が終わるまでは」希望)、
当時の熱狂を丸ごと思い出させてくれるものだと、
勝手に期待していたから、この発表には、少なくない衝撃を受けた。

同時に、原作者である井上雄彦さんが、
この映画の脚本・監督をなさっていると言う事実を、
重く受け止めてもいた

原作者が、これでいくと、こうしたいのだと、
思って考えて、映画を作ったのだという事実。

キャストや音楽についても、
納得ずくで選んだに違いなかった。

でも、Twitterは荒れていた。
発表のタイミングが、前売り券の販売「後」だったことが、
未熟なファンの暴走といった論評では片付けられない様相を呈していた。

「これなら観たくない」
「新キャストだとわかっていたら、前売りを買わなかった」

キャラクターの声は、アニメに魂を吹き込むようなもので、
あのキャラはこの声、と脳と心に刷り込まれるのだと思う。

だから、キャストの変更があるのかないのかは、
映画を観るか観ないかに直結する、とても重要な要素だったと言える。
宣伝側は、この点を過小評価したような気もする。

原作者としての思い、ファンの思い、
双方の思いをよくよく汲み取って、
発表と前売り販売などのスケジューリングをしていただけたら、
あそこまで炎上しなかっただろうなーと思う。

「もう観ない!!」と宣言しているファンもいたようだが、
私自身は、世界が終わるまではを劇場で聴きたかった未練を抱きつつも、
原作者の思いをこの目で耳で確かめたい、見届けたい、という気持ちがあり、
前売り券は買わなかったけれど、観にいくことは決めていた

この時点で、期待値は60%くらいだったろうか。

鑑賞中の心の動きを振り返る

2022年12月下旬。
いよいよ劇場に足を運んだ。

ネタバレサイトは絶対に見ないと決めていたから、
ほぼ前知識ゼロだったが、
メインストーリーは山王戦だということは、
Twitterのタイムラインで知っていた。

沖縄??

冒頭のシーンは、山王戦ではなかった。
山王戦の時代ですらなかった。

もう少し前の、沖縄から、話が展開されるのである。

ああ、宮城リョータのキャラクターの掘り下げが、
この映画の一つのテーマなんだな、と知ることになる。

かなり重めのエピソードである。
「死」「生」の対比、遺された者の苦悩だ。

スラダンのメインキャラが所属する湘北高校は、
神奈川県代表である。

沖縄に住んでいたリョータが、神奈川県でバスケをしている、
という事実には、多くの辛い現実が横たわっていたこと、
25年を経て初めて知る。

別のタイムラインか?原作にない場面多々あり

伝説の山王戦を軸にしながら、
原作本編にはなかったと思われる場面が多々差し込まれる。

湘北高校に入る前のリョータと、キラキラ時代の三井寿が、
すでに出会ってバスケをしている場面もそれだ。

あれ、、このイケメンの美しいシュートフォームは、、、
でも髪型がコミックスの武石中の時とは、だいぶ違うけれど。。。
んんん?と思っているところに、登場したお友達が、
「みっちゃーん」呼び。
三井寿か!!!やはり!!とか。

矛盾があるわけではない。髪型なんて、しょっちゅう変わる。

でも、ひょっとして、これは別のタイムラインのスラムダンクかもしれない。
わたしはそう感じていた。

昔の作品の焼き直しはしない、という原作者でもある井上監督の言葉が、
頭の片隅にあった。

でもやっぱりスラムダンク

別のタイムラインかも、、と思いながら、
でも、これは間違いなくスラムダンクだ、とも感じていた

私がスラダンの魅力だと感じていた、
「人間の弱さ強さ」「嘘臭くない感じ」がそこにあったから。

「死と再生」「過去の昇華」「失敗の財産化」。
リョータだけではなく、三井寿も、ゴリも、流川も、桜木も、
弱くて強くて、強くて弱い人間として、コートに立っていたから。

ちなみに、愛する三井寿の死と再生は、
無垢なバスケ少年が差し出す手、
サラサラロン毛の不良高校生が繰り出すゲンコツ、
バスケがしたいバスケットマンが握りしめる拳、で描かれていると感じた。

宮城母の存在感が強い。

予告にある、海辺に佇む後ろ姿は、彼女のものである。

3人の子どもを抱えたまま、若くして夫に先立たれ、
頼りがいのあった子どもが一人突然亡くなり、
好奇の目にさらされ、住み慣れた地を離れる決断をする、
宮城母の存在感が強い。

リョータの物語は、同時に、彼女の再生物語でもある

誰か彼女を助けてあげてくれ、と祈りながら観ていた。

彼女を「毒親」と評する向きもあるかもしれないが、
彼女自身が、支援の対象者なんだよなー。

彼女の封印を解いたのは、リョータの、
ごめんなさい、ではなくて、ありがとうだった。
よくぞ、一人で、これを書いたなあ。
号泣ポイントである。

沢北の存在感がいきなり強まる後半

山王エースの沢北のエピソードが非常に印象深い。

圧倒的実力の持ち主で、アメリカへのバスケ留学が決まっている沢北。

トレーニング途中に、神社でお願いごとをする場面が出てくる。

「俺に必要な経験をください。」

あーそう言うのなら、どんな結果でも受け止める覚悟がないとね。
と思いながら観ていた。

常勝山王は、湘北高校に敗北する。これは既定路線。

敗北こそ必要な経験、という意味を強烈に印象付けるために、
このお祈り場面が、映画オリジナルで差し込まれているのだと思う。

山王の監督が、
「負けたことがあるということが、いつか財産になる」と慰めただけでは、
印象づけが足りないという判断だったのだろうか。

そして、敗北が沢北にとって、本当に必要な経験だったのだろうと、
誰もが納得せざるを得ない映画オリジナルのエンディングが待っている。

点取家ではなく、絶対にパスを出さなければならないPGのポジションで、
アメリカのチームに溶け込んでいる様子がうかがえるのだから。

そして、その対戦相手のチームには。。。。である。

過去に執着するな。ごめんなさい、より、ありがとうだ。

私たちは、随分大人になった。

スラダンに夢中だった「あの頃の私たち」が知らない傷を負い、
喜びを噛み締め、失敗の涙に暮れ、背中を向けてあきらめ、希望を抱き、
その繰り返しで、生きてきたよね。

「あの頃の私たち」には、もう戻れない。
「あの頃の私たち」のまま、生きられない。

わかっているけれど、つい過去に思いを馳せる。
つい、逃げ込みたくなる。

逃げ込んだっていいけれど、永遠に逃げられないよ

原作に固執するように過去にしがみつくな。
乗り越えて今を精一杯生きてみろ。
失敗だって財産なんだ。
生きてみろ。精一杯やり切ってみろ。
はかない今という時を、全盛期にしてみろ。

生きていてごめんなさい、ということはない。
ありがとうしか、ないんだよ。

映画全体のチカラで、こんな風に鼓舞されているように、私は感じた。
見届けられて、よかった。

お節介おばさんで申し訳ないけれど、一言。
もし、件の炎上案件で、「もう観ない!!」と思ってしまっている人がいたら、
こっそりでもいいから、観に行っていただきたいなあと思う。
オリジナルとの違いを粗探しをするのではなくて、
今のあなたのままで、素直に頭を空っぽにして、観てみてほしい。

追伸)
東映さん、井上さん、The Second Slum Dunk 三井寿編、ありますか?
また生きる希望になるので、ぜひ制作お願いします。待ってます。

追伸その2)
アイキャッチなんですけど、Midjourneyで、
適当に、三井寿、スラムダンク、アニメーション、でAIに指示を出したら、
こんな画像を出してきました。
SlumとDunkだけしか通じなかったなー

以下宣伝)

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