解像度を高める。という言葉をご存じですか?
元々は、画像に関する用語ですが、
最近では、ビジネス用語としてもよくみかけます。
効果的な問題解決のために、
事実や考え方を詳細にしていくこと。
広く、深く、構造的に把握していくこと。
通常、
丁寧にヒアリングをしたり、
がっつり市場分析をしたり、
大規模なデータをとったりするなど、
相応のコストをかけてやっと得られるものだとおもいます。
占いって、ある意味、
チート気味に解像度を高める手段だなあとおもいます。
命術(星占いや四柱推命など)では、自分を表現する「これだ!」という言葉に出会えたり。
卜術(易やカード占いなど)では、現在の課題や近未来の流れを把握して諸々の準備をしたり。
自分自身の解像度を、
過去現在未来にわたって、
わりと気軽に高めていくことができるんですね。
たとえば。
自分の個性をビシッと言い表せる言葉があると、
短い時間で自分をわかっていただけますよね。
わたしにもありますよ。
理性と感性の両方が平均以上あるとか、
陰陽を内包するとか、
OSを2種類脳内に持っているとか。
占いを受ける中で「あーそれそれ」と思える表現をたくさんもらいました。
自分の評価を固定的に縛るということではなくて、
表現の精度を高めるという点でプラスに作用します。
年後半はちょっとハードになりそうだから、
前半、動けるときに、どんどん行動しておこう。
来月は運が味方につきそうだから、
いまのうちにやりたいことの種まきをしておこう。
何ができるかな。タスクの全体像を把握するために本を読もう。
占いを受ける中で「よし、こうしよう」と決意した瞬間がいくつもありました。
言われたままやるということではなくて、
自分の意志で取捨選択するきっかけになる点でプラスに作用します。
占いが解像度を高めることができるのは、
どうしてなのでしょう。
わけみたま。
梵我一如。
大いなる何かのひとつ。
すべてはひとつ、ひとつはすべて。
この世に関する、
こういった概念の裏打ちがあって、
占いが成立しているからでしょう。
特にわたしがメインで使うカードリーディングは、
潜在意識や偶然と言う必然への敬意、
大いなる何かのひとつである自分への信頼があることで機能します。
すべてはひとつ、ひとつはすべて。
それは当たり前のこととして、
占う側、占われる側に受け入れられている。
ただ、一方で、
わたしたちは、この地球上で、
各々が異なる肉体を持ち、個性をもったまま、
「個」として現実世界を生きているのです。
陰陽があり、浮き沈みがあるこの現実世界で、
一切思考せずに、すべて直感に任せ、
ひたすら流れに身を任せて生きていくことに対し、
人が不安や恐怖を感じることは自然なことです。
人生をより生きやすく、いきいきと渡っていくための指針が欲しい。
占いが、古代より途絶えることなく人類と共にあるのは、
おそらくこの願いに応えてきたからです。
大いなる何かのひとつとしての自分自身。
その解像度を、
過去現在未来にわたって、
わりと気軽に高めていくことができる。
人生をより生きやすく、
いきいきと渡っていくための指針として機能する。
それが占いの価値なのだとわたしはおもいます。
ただ「当たる」だけじゃない。
占いには、こんな捉え方もあるのだと、
知っていただけたら嬉しいです。
3月に新メニュー出します。
良かったら体験してみてくださいね。
あなた自身の体験に勝る証拠はありません。