碧宮レイラです。幻想に気づき本当の自分に覚醒するカードリーディングを提供しています。今回は「キャリアダウンしたけど、本人わりと幸せ感じてるよ」というお話です。ええ。あまり乗り気ではありません。正直、気が重いです。では。
なぜこのお話を公開ブログなぞにしたためようと思ったのか。
わたくしのことをどのように知ってもらったらいいのか、ずっと結論が出せないままでいます。色々なアドバイスをいただき、それぞれになるほどと思わされますが、そもそも、「提供者のことを詳しく知ってもらわなければサービスは買われない」という「セオリー」に漠然かつ強固な抵抗感があります。それは「自己開示」という言葉への拒否感や恐怖感が自分の中にあるからなのですが、このような葛藤を抱えつつも、コンフォートゾーンを新たに設定すべく、現時点でここまでなら開示してOKという範囲を自分なりに整理しようという動機です。シンプルにそれだけです。結果的にどなたかの参考になればいいなあとは思います。でも、基本自分のために書きます。それでもいいよ、と思っていただける心の広い方はどうぞ先にお進みくださいね。
最初にご理解いただきたいことがあります。
わたくし、若かりし頃、インターネット上でのストーカー被害に遭ったことがあり、家族共々生命の危険を感じるという経験をしています。とくに加害者が特定されるまでは心底おそろしかったです。あまり使いたくないワードですがトラウマ的な経験です。どなたがご覧になるかコントロールができないオープンな場面では、わたくし個人の特定につながる情報はなるべく伏せたいという思いを持っています。自己開示についても「無理をしない」がモットーなのです。キャリアの話なのに、一体どこで何をしていた人なのか、という属人情報について、個人の特定につながる固有名詞等はとことん避けていきますので、具体性が不足してよくわからない、という場面が出てくると思います。ご理解いただけますとありがたいです。
見事なキャリアダウンの概要
一言でいうと、「超絶安定優良組織の管理職→名刺も持たない会社事務員になりました。」中学時代あたりからざっと振り返ります。
中学〜高校時代
私立の中高一貫校で常に成績はトップクラスでした。正義感が強くて、 社会科で冤罪事件を習ったときには、本当に悔しくて自分に何かできないか考えこんでしまうようなタイプでした。全国模試の成績優秀欄1枚目に名前が載ることに心から喜びをおぼえていました。
大学時代
誰もが知る大学の、当時もっとも偏差値が高いといわれた文系学部に現役合格します。恋に遊びに華やぎながらも、毎期の試験勉強も真面目にこなしていました。ちょっとした問題があって進路に迷いましたが、成績が良かったので推薦で大学院に進学することができました。
大学院時代
修士1年目からとある国家試験の勉強を始めます。正義感を活かせる仕事に就くという目標があり人生で一番集中して勉強したと思います。修士2年目で筆記系試験に見事パス、就職先の面接もトントン拍子に進んで内定を得ました。修士論文も合格し、修士号を得て、肩書としては十分。これで人生安泰だな。と謎の自信に満ち溢れていました。
キャリア職時代
本題なのでここからちょっと長めになります。
約10年勤めました。全国転勤がある職種で、2年に1回ペースで転居を伴う配置換えがありました。その都度、仕事内容も人間関係もガラッと変わりました。
「ちゃんと成果を出そう」「誰もが仕事をしやすく整えよう」「迷惑をかけないようにしよう」という気概がすさまじかったので、どこに配属されても猛烈に仕事をしました。短期間で状況を把握して課題を特定し、改善に向かって道筋を描き、実行する。
新規立上げプロジェクトに関わったときは、最初が肝心と部下にハッパをかけながら、他部署の遅れをみるやそちらの分も引き取ってベースを整えました(ありがた迷惑な人ですね)。7:00~22:00とか、9:00~24:00とか当たり前。土日出勤もあまり抵抗感がありませんでした。
鬼のように仕事をしたわたくしも、年齢を重ねていくにつれて、プライベートとのバランスのとり方についても悩むようになりましたし、組織の体質もよく見えるようになり、当時のわたしでは折り合いをつけることが難しい数々の理不尽さに、このまま、組織に骨をうずめることが幸せにつながるのだろうか、と悶々とする日々が2~3年ほど続きました。
そんな中、2011年の大震災が起き、組織への忠誠心や信頼が音を立てて崩れる出来事がありました。精神的に非常にきつかったですが、ちょうど最年少で昇進したてだったので、仕事は精一杯頑張りましたが、身体が悲鳴を上げ始めていました。身体の悲鳴にきづいたとき、後先考えずに、「もうやめよう」と決めました。
今考えると、これはどう考えても大英断なのですが、当時は、無謀すぎるし、もったいないよ、と何度も何度も、色々な方からご忠告を頂戴したものです。ここさえしのげば好きなところに配属する、休職すればいい、後先考えずに辞めるのだけは絶対だめ、などなど、わたくしを思ってのことだとは思いますが、いまさら何をという思いで上手に受け取ることができませんでした。とにかく、この先どうなるかわからないけど、お先真っ暗だけど、このままここにいることだけは良しとしない、そんな思いだけで行動しました。
コンサル会社のBO(バックオフィス)
後先考えずに辞めたのですが、不思議なご縁をいただいて、離職後2カ月程度で起業間もないコンサルティング会社のバックオフィスの仕事を得ました。本当の意味で優秀な人々の仕事ぶりをみて、すごいなあ!と思うものの、心身ともにすっかりバーンアウトしていたわたくしは、ああなりたい!と思うこともなく、職場の皆さんに助けていただきながら、残業もほとんどすることなく、追いつめられることもない環境で、存分に甘えさせていただいていたと思います。諸々の事情から退職しましたが、3年ほどお世話になりました。ご縁をいただいた当初、もう人生終わったくらいに自虐モードだったわたしに、「これから先、可能性しかない」と社長に言っていただいたこと忘れません。感謝です。
親族経営の会社で事務員
文字通りですw最初に築いたキャリアとの連続性は皆無の業種です。おかげさまでゆるゆると過ごさせていただき、休暇も取りやすく、副業も可という環境。興味がある場所や人に会う機会が以前より格段に増えました。自分のことを写す鏡になるかもしれないと思って始めたタロットリーディングが、交換リーディングを通して他人にとても喜んでいただけたことで、お金をいただいて鑑定にチャレンジすることにもつながりました。
どうです?世間一般の、権威や収入に依存する判断基準に立てば、「いわゆる勝ち組」から「転落」したように見えますよね。
それなのに、なんだか「不幸」の味があまりしない(笑)?正直、いまは、すべてが必然だったと思えるので、自分の境遇を不幸だと感じていたこと自体、記憶が薄れています。
たしかに失ったものもありますよ。
キャリアダウンで失ったもの
- わかりやすい社会的地位
- 半永久的な金銭的余裕
- キャリアの連続性
- 正解への執着
- 無理してあわせていた周波数で生きているわたしとひきあっていた人
昔は、名刺交換が大好きでした。自分を語るために苦労したことなんてありませんでした。えっ〇〇にお勤めなんですか!どんなお仕事ですか?どうしてこちらに就職しようと思ったんですか?大学はどちら?休日はどんな………と勝手に会話が盛り上がっていきました。「わたしはどこそこのだれだれです」と言えることの安心感は、失って初めてわかったこと。しかもそれが、社会的に価値がある、と誰もが疑わない地位であったのだから尚更です。
昇進も早かったので、その若さで、、みたいな視線や言葉も気分がよかった。地位・肩書=価値、という盲目的な思い込みによるものですね。この思い込みはなかなか消えませんでした。どこかで自分を負け犬判定して、そんな状況に追い込んだ環境を恨む気持ちもありましたよ。退職してからしばらくは、「誰それがどこそこに栄転になった情報」なんか、本当に聞きたくなかったです。皆さん悪意はないんでしょうけどね。自分の意志で退職したとはいえ、複雑な心境ではあったわけです。ただ、時が経つにつれ、いつの間にか、自分を負け犬判定することがなくなりました。
振り返ってみると、キャリアダウンで得たものの価値が、わたしにとっては尊いものだったんですね。
キャリアダウンで得たもの
- 自由
- 心の余裕
- 自分らしさの探求
- 失敗への寛容
- 本来の周波数で生きているわたしとひきあう人
キャリア職時代は、私生活含めかなり制限がかかりました。仕事のために費やす・確保する時間の多さ。「清廉潔白品行方正」「滅私奉公」であるべきことからくる行動制限。これらは地位・肩書に付随するもので、「地位・肩書=価値」だと思い込んでいる以上、絶対遵守が当たり前の感覚でした。
また、基本的には減点主義の人事評価です。順調に階段を昇っていくには「失敗しないこと」が前提でした。地位があがると、自分の「失敗」だけでなく、監督対象たる部下の「失敗」も評価の対象となってきます。元々自分にも他人にも厳しい傾向があったので、この仕組みは息が詰まるのもでした。もちろん、上手に折り合いをつけることも可能だったと思いますが、子どもっぽい完璧主義を持つわたしには、中々難しかったのです。
職種からくる制限に加えて自らの性格傾向があいまって息苦しかったのが、キャリアダウンによって解消されていきました。
当初は「選択の失敗」「負け犬」という言葉が頭の片隅にはありつつも、物理的に精神的に解放されたことの影響はすさまじく、大嫌いだった「適当」という言葉が大好きになり、「何とかなる」「どうでもいい」といった言葉も出てくるようになりました。わたしの中に「隙」「余裕」がうまれたんですよね。その「隙」「余裕」のおかげで、今までと違うものを見たい、知りたいという欲求がうまれて、昔から興味があったタロットの世界をのぞくようになったり、精神世界に関心を持つようになり、いまに至ります。
人生めちゃくちゃと言われても
あなたの人生めちゃくちゃじゃない。と言われたことあります。わりと最近のこと、身近な人物からです。でも、面と向かってこう言いました。
「残念ながら、わたし、人生めちゃくちゃだなんて、まったく思っていないので」(やまとなでしこの桜子さんを意識しました)
言われた方は黙っていました。自然にこの言葉がでた自分を、褒めて褒めて褒めまくりました。キャリアダウンによって失ったものと得たものを、頭の中で理詰めで緻密に比較衡量しなくても、わたしという存在は、大切なものを心で感じ取り、知らない間に心の底で満足していたのです。しかも、キャリアは非連続と先に書きましたが、じつは。
過去がいまのわたしをサポートしてくれています
たとえば、鑑定書を書くときに、キャリア職時代に鬼のように文書を作成したときの心がけが生きています。論理的なつながりはもちろんなのですが、起案系は特に、初めてこの文書を目にした忙しい人の気持ちになって書く、という心がけですね。他人に指摘していただいて初めて気づきました。
過去のわたし、ありがとう!
過去のわたしがこうやって応援してくれるように、きっと今のわたしが取り組んでいることも未来のわたしを応援しに行くはず。未来のわたしからの宿題なのかもしれないですね。なんだか妙に納得しました。そして。
明らかにいまの自分の方が好き
だと実感しました。
全国模試で成績上位者一枚目が当たり前だった自分。
職場で残業しまくり成果をあげて最年少昇進した自分。
学歴と職業がありさえすれば一生安泰という幻想に囚われていた自分。
ストレスで衝動買いも多く、自分を知らないまま似合わないブランド品に身を包んでいた自分。
自分自身が空っぽのまま、地位=価値、社会的成功者という幻想に踊らされていたことは、当時は知る由もなかったのです。
ほんとうのわたしはどこにいるのかを知るために
わたしの魂はこれほどのキャリアダウンを必要としたのでしょう。滅私奉公システムからの脱却が必要だった。自分を180度違う世界に連れていく必要があった。こんな感じだとゆるく思っています。
ゆるくても、わたくしは、堂々とこう言います。
キャリアダウンして幸せです。
駄文長文を最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。貴重なお時間を使ってくださった心の広いあなた様に、わたくしから小さなお礼をさせてください。
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