優しさは、
行動としてあらわれたとき、
その人の特性として強く認識される。
そんな気がしています。
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たとえば、2年ほど前、
Twitterでお見かけしたエピソード。
トイレットペーパーが店舗から消え去った時のこと。
こわもてのおっちゃんが、
買ったばかりのトイレットペーパーを店の前で開け、
出遅れたご高齢者たちに、
少なくてすみませんと言いながら、少しずつ分けていた。
そんなエピソードでした。
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ありがたいなと思いましたね。
非常時に、見知らぬ人たちに分かちあえるというのは、
本当に優しい人ならではの行動。
街角ですれ違ったくらいでは、
この人が優しい人だとは思わないでしょう。
でも、この行動を見た人は、
この人は間違いなく優しい人、
という強い印象をもったと思います。
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実話じゃないかもしれない?
では、わたしの父の話をしようかな。
1990年代に、大規模なコメ不足が起きました。
平成の米騒動ですね。
おぼえていらっしゃるでしょうか?
直接的には冷夏、
間接的には減反政策等の背景があって、
需要に対する供給量が圧倒的に不足。
インディカ米が大量に輸入されましたよね。
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わたしの父は、日本有数の米どころに伝手がありました。
トラックの運転もできました。
古米を大量にかき集めて、
また何時間もかけて関東まで運んできて、
知り合いの人に配りまくったといいます。
対価はもらったり、もらわなかったり。
自分にできることを、
他人に対して提供することに躊躇がない。
根底にあるのは、底抜けの優しさだろうと思います。
短気で感情的で、
迷惑もたくさんかけている父ですが、
誰もが優しい人だとわかっています。
父が困ったときに、助けようとしてくれる人は、
父の優しさを実感した人です。
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行動できなければ、優しくない。
そんなことが言いたいのではありません。
でも、打算のない、
優しさあふれる行動には、
いつもいつも感銘を受けます。
感銘を与えてくれる人のことを、
応援したいと思うのは、
ごく自然なことですね。
記憶に刻まれていきます。
優しい人。
本当に素晴らしい特性です。
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ちなみにちょっとかための余談ですが。。
現在のコメの収穫量、平成の米騒動のときと比べて、
多くなっているとおもいますか?
少なくなっているとおもいますか?
実は少なくなっているようですよ。
ではなぜ、騒動にならないのでしょう。
シンプルに需要が減っているのですね。
需要がなければ供給を落として価格を調整する。
それがいまの仕組みだから。
今後、何らかの要因で需要が跳ね上がっても、
いきなり供給量は上げられないですね。
つぶしてしまった田畑を、
すぐに実らせることはできません。
身体にとりいれる作物を育てるということは、
簡単にインスタントにできるはずがないのですから。。
自分で食べる分は、自分で作る。
そんな意識を持った方が増えたのも、うなづけますね。