セレンディピティ沖縄旅(3)

セレンディピティ沖縄旅(2)からの続きです。

最高の人生に触れる。

道行く地元の方からすばらしいアドバイスをいただき、
予定になかった場所で、
梅雨時にしてはありがたい、
美しい碧をみた後。

久高島から、沖縄本島に戻るため、
切符売り場に赴いたときのこと。

売り場のお父さんに話しかけられました。

どこからきたの?

正直におこたえすると。

うちの三男坊が〇〇に住んでるよ。
えー!!〇〇!

○○は、わたしの住まいのお隣の市。
この久高島から、〇〇。
距離だけではなく、ものすごくギャップがある。
印象がつよすぎて、
話を続けたくなる。

島にはよく帰っていらっしゃいますか?

うん、この間、〇〇(奥さん)が亡くなって、
いろいろ片付けとかするために来たよ。

もう62か63になるのかな。
孫もたくさんいるよ。

お父さんにとって、ひ孫さんですね。

ひ孫は17人いるからね。

うわー!すごーい!
17人のひ孫さんかあ。
最高ですね!!

うん、最高だ。(即答)
日焼けしたお顔に白い歯がこぼれました。

ええ、最高ですよ!!

近くには住んでいないけれど、
連綿とつながる縁をいつも感じ、
最高だと思える人生。
豊かですね。

最高の人生、
残りも元気で過ごしていただきたい。

お父さん、お元気でお過ごしくださいね。
お声がけして、お別れしました。

この後。
琉球時代から滋養強壮に使われるイラブー(ウミヘビ)の粉末を、
塩で味付けしたスープをいただきました。
美味。
疲れを吹き飛ばし、
船に乗り込み、久高島を後にしたのでした。

※このお父さん、どうやら、久高島に水道を引き、
定期船を結んだ島の名士の方のようです。おそらく96歳くらい。

ご神事の直後というタイミング。

後で知ったのですが(リサーチしなさすぎ)、
5月10日~12日は、年2回の大切なご神事があったため、
ハビャーンや、イシキ浜には行けなかったようです。

訪れたのは5月14日。
神々が来訪し、
清められた直後だったということですね。

しかも5月16日からは、船がドックに入るため、
減便となるそうです。
選択肢の多いタイミングに伺えてありがたかったですね。

10年前の真夏に来たときのわたしは、
激務から解放されて半年程度。
自分探しも手探り。
自分軸を再構築しはじめた段階。

いま現在の活力が100とすれば、
おそらく50にも満たなかったでしょう。

10年経って、いま、
とても元気になった姿を、
強く、しなやかな軸をもった姿を、
久高島にみせることができて、
本当にしあわせだとおもいます。

太陽が顔を出す。

さて、宿泊地は、瀬底島。
港から100Km近くを北上します。

途中、学生時代からお世話になっている先輩と待ち合わせ、
ロハスなカフェでランチをご馳走していただき。

2時間ほど、久しぶりの会話を楽しみました。

繰り返しますが、
朝のラジオでは「雷雨」と言っていました。

ドライブ中、雷雨に遭遇することはありませんでした。
それどころか、目的地まであと少しのところで。

びっくり!
雨がすこしパラついているのに。
テンション上がりました。

一瞬でも、うっすらでも、
とてもありがたい太陽でした。

予想外の打ち上げ花火。

そして。なんと。
夜には、打ち上げ花火をみることができました。

全然しらなかったのですが(またもや)、
このホテルでは、毎週土曜日に上げているようです。

75発。およそ3分間。
雨も風もなく、キレイにみえました。

ちょっと建物にかくているのと、
向きが横になっちゃったのですが、
よろしければどうぞ。(大きな音がでます)

 

夜空に響く、花火の音と、人の歓声と拍手。
ああ、いい夜だな。
いま、ここにあれて、うれしいな。
ありがたいな。

当初は、見えない部屋割りだったのですが、
チェックインの際、見える部屋に変えてくれたのですよ。
そういえば、男性のスタッフだったなあ。

きょうは、特に男性に、
とても親切にしていただいたなあ。

花火の後、
テレビもつけず。

静かなホテルの一室で、
感覚がフレッシュなうちに、
みなさんにシェアしたいと、
ブログを書き続ける夜がそっと更けていきました。

最終日の予報は雨。
雨雲レーダーからは、
かなり降りそうな気配。

さてどうなったでしょうか。
最終回に続きます

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