現在進行形だと思っていた関係性が、一瞬にして過去ボックスに振分けられるような感覚を思い出す。
ああ、わたしの役割はここまでなんだろうなあ。
自分がそう思ってしまったらそこまで。
心が動かなくなる。好きの反対は嫌いではなくて無関心。コミットしなくなる。
どうでもいい感情なんてないよ。どうでもいい悩みもないよ。一周回ってそう思う。どうでも良くないからと向き合うからこそ気付けることもある。悩みだらけという人こそ、月の幻想をはがしたいと思って向き合うと内側の解放感が強く得られるとお客様に教えられた。家とか親とかをめぐる話はどうでもよくなかった。それを話さないと始まらなかった。
昔の職場でわたしの良いところをこう言ってくれた人がいる。
上から目線ではなく、相手のところまで降りてきて、視線をあわせて、話をきいてくれて、一緒にかみ砕いて、道筋をつけてくれる。下から上には中々いけないのに、今までは、上からいきなり爆弾が落とされるみたいでよくわからなくてやる気が出なかったけど、これなら私たちやれます。
過保護だと言う人もいたし、自分でもそう振り返ることもあったけど、あのときのあの組織では、安心感がガソリンになってエンジンが回ったのは確かだった。
これからの時代は、個の時代だという。安心感は誰かから何かから与えられるものではなく、それぞれが獲得する時代なのかもしれない。とっくにそうなっているとも言える。わたし自身が安心感を大切にする人であろう。そして安心感を大切にしたい人と出会っていこう。○○弱者と蔑むことは絶対にしない。乗ったら最後降りられない電車なんかない。乗り換え駅があろうとなかろうと、自由に行き来できる。二極化?そう思うならそう。行き来できない?そう思うならそう。それだけ。
組織や権威を司る太陽山羊座のわたしにとっては厳しい時代に入るかもしれない。
基本的に水瓶座は山羊座の否定からはじまるのだ。水を得た魚になどなれない。なんせ、牧神パンが怪物から河に逃げようと変身に失敗して、上は山羊で下は魚の姿だ。さっさと天界に逃げ切った神々は、もがいてバタバタ逃げるこの姿をみて笑い、おもしろがり、星座にしたくらいだ。
さぞ必死にもがいたんだろう。だからこそ星座にしてもらえるくらいの笑いに繋がった。神々サイコパス?の可能性疑いそうになるけど、たぶん逃げ切れるとわかって眺めていたんだろう。たぶんね。本人も変身失敗しちゃったテヘペロで河からあがり、しれっと大地を駆け回っただろう。
次に飛び込むときは完ぺきなイルカにでも変身すれば良い。あるいは大地でかけっこ勝負すると決めても良い。あるいは新たな星座となるべく派手に変身失敗してもよい。
選べる。
こんなことをつらつら書いていたら、姪っ子にもらったやぎ座シンボルが目の前にニコニコと出てきた。やっぱりおもしろいね。