エリート辞めました。
順風満帆だった若いころ。
わたしは、高学歴を得て、超難関公務員試験を突破した、
いわゆるエリートと呼ばれる女性でした。
若くして管理職を任されるプレッシャーに耐えながらも、
自分を成長させ続ける努力を惜しみませんでした。
プライベートでは同じくエリートの男性と長年交際。
まさに、仕事も恋も、絵に描いたように絶好調でした。
未来はいつも明るく、
あたりまえのように輝いていました。
30代で訪れた試練。
30代で訪れた試練。
きらびやかな社会のレールを、
順調にひた走ってきた人生は、
30歳前後で大きく波打ちました。
ストーカー犯罪被害、長年付き合った恋人との離別。
男性社会での過酷な任務、災害下での転勤、心身の不調。
滅私奉公で、
人生を終わらせていいのだろうかという疑問。
なんども「退職」の文字が頭をよぎりました。
そのたびに、上司や同僚や友人らに相談もしました。
もったいない。
もう少し頑張れ。
辛いのは今だけ。
1年なんてあっという間だから。
あなたには、あとに続く女性のために、
ロールモデルになってもらわないと。
みなさん、それぞれに、
わたしを励まそうと言葉をかけてくださいました。
いま、しあわせ?
たしかに、このまま、公務員を辞めずにいれば、
一定の収入と、社会的地位は保障される。
安定した未来へと続く道を、
だまって、歯を食いしばって、進みさえすれば、
何十年後かは「幸せ」なのかもしれない。
でもわたしは、「いま」に、心から絶望していたのです。
「いま、しあわせ?」と自分に問うた答えは。
「いま、わたしは幸せじゃない。」
一日一日を、どこで、だれと、
どのように生きていくのか。
自由に選んでいく権利を、無自覚に、
少しずつ放棄していることに、
気づいてしまったのです。
自分で決めた滅私奉公との決別。
最後の1年、毎朝のように吐き、不整脈すら出始め、
心身に不調和が生じていることは明白でした。
表面上は、その姿を隠しながら勤めていました。
でも、これまでどんな激務でも、
心身に不調を感じることがなかった自分に、
大きな負荷がかかっていることを実感しました。
ここから、自分の意志で飛び出さなければ、
わたしは、きっと後悔する。
辞めて後悔することはある。
きっとある。
それでも、いい。
どうなるかわかりもしない未来のために、
よりよく生きる現在を犠牲にしたくない。
壊れてからでは遅い。
努力して手に入れた社会的地位と、
安定した未来との決別でした。
反対せず見守ってくれた両親。
一般的には、理解しがたい決断だったとおもいます。
ありもしない、興味本位の噂を立てられることもありました。
「失恋して病気になったから」
「離婚したから(結婚もしていないのに)」
こんなことを言うのは、
わたしと直接関わったことがない人たちでした。
両親や近しい人は、根掘り葉掘り詰問したり、
反対の言葉を口にすることはありませんでした。
特に両親は、ごくごく普通の家庭ながら、
大学院まで通わせてくれたのです。
絶対に職を失うことがないエリートになって、
娘の将来に安心と期待を寄せていたでしょうに。
見守りが、とても、ありがたかったです。