犬の道とは

犬の道。かわいいワンちゃんのお話では全然ありません。すいません。
ことしも残すところあと3か月。
自戒をたっぷりと込めてちょっと耳の痛いお話です。
しかもちょっと長くなりました。

問題解決のロジカルシンキングの名著に「イシューからはじめよ」(安宅和人著)があります。
わたしは30代の時に読んだのですが、遅くとも院生時代には読んでおきたかったなと思った本です。
わたしは、見える世界見えない世界の両方に同じくらい興味があります。「常識」「王道」を疑いつつも、先人が血反吐を吐きながら(たぶん)生み出した、ありとあらゆるフレームワークにも興味があります。

著者のいう「犬の道」とは
問題解決したいときに、本当にいま解決しなければならないのは何かをしっかり見極めず、簡単で、簡単だからこそ明解な答えが出やすい部分を選んで手当たり次第に着手するので、いつまでたっても本質的な課題解決には至らないというパターンに陥ることです
本当にいま解決しなければならないこと(イシュー度が高いこと)に対して、なるべく明解に対応策を出すこと(解の質が高いこと)
これがバリューの高い問題解決だという前提です
イシュー度が高いことが大事で、イシュー度が低ければ、どんなに質の高い解を、どんなに数多く出しても、バリューの高い仕事には行き着かない、とされています
犬の道を通っているとバリューの高い問題解決にはならないということです

。。。どうでしょうか。
めんどくさがりのわたしには本当に突き刺さります
やるべきことをイシュー度から再点検しなければなりません
興味を持たれた方は読んでみてください。どなたかがまとめられた要約なども探せば出てきますよ

さて、なぜこの話題を選んだか。ということを書きながら、わたしという人についても触れたいと思います
スピ系思考を大きく偏りすぎて受け取ってしまうことによる懸念は、日常のありとあらゆることに対して、「宇宙は無限なのだから制限的な捉え方をしてはならない」的思考に囚われて対応すること、だと思うんですよね
・価値があってもなくてもいい(価値はラベリングだから)
・いつか時が満ちるまで待つ(時間は宇宙にはない概念だから)
・分析や努力は一切いらない(宇宙とつながっていれば勝手にうまくいく)
例えばこれらは大切な真理であるとは思うし、どちらかというと「答えが出せないこと」には当てはまりやすいとも思います。

でも、肉体をもって、資源に限りのある世界で生きている、周りにいる人間は様々な考え方を持っている、という「制限」をいきなり完全無視することだと解釈するのは、さすがに不自然に感じてしまいますし
思考や行動を尽くせば「答えは出せること」を、簡単に「答えが出せないこと」にすり替えている場合もあるんじゃないかな、とも思うのです
スピ寄りに言えば、そもそも魂は、肉体と重なり合い、いまこの「制限」あふれる世界で、生きていてよかったと、実感したいのではないでしょうか

ところが、魂の声を聴かずに(目的を無視し)、宇宙の「法則」だけを遵守する(手段に囚われる)状態ってあるんじゃないかなーと思うのです
わたしたちはマニュアルとか法則とかあった方が安心だから、ついそこに焦点が固定化されてしまいますよね
そうなると自分の頭で課題を認識して分析する方法がわからなくなり、ひどい時には教祖様的な誰かの発言だけを忠実に実行しているだけ、ということにもなりかねないように思います
これって魂が生きていてよかったと思うの状態なのかしら?

それでもイイのわたし幸せだから。という方もいるでしょう
でもわたしは、そんなの嫌だな、どんなにお金が稼げても、どんなに名声が得られても、全然嬉しくないと思っている人です
カードリーディングもする
見えない世界の「答えの出ない」事柄に対しても目を向けている
その一方で
「答えを出せる」ことに対しては、「制限」の中でも、自分なりに何とか答えを出してきた生身の人間
それがわたしです

魂の声を聴きながら、制限あるこの身で、この世界で、リアルに全身を使って生きていきたい
わたしにとって本気で生きるとはそういうことなんだとおもいます

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