A blessing and a Curse

【A blessing and a Curse 祝福でもあり呪いでもある】
占い、鑑定というのは、伝え方によって、受け取り方によって、祝福にも呪いにもなり得るということについて。

例えばマドモアゼル愛先生の月星座理論。
ホロスコープ上で月が入ったサインやハウスにより、人生で囚われがちな幻想を知ることができる。
月星座は「欠損」をあらわし、どうやっても7歳レベルの能力しか身につかない分野を示す。
愛先生の月星座理論は超ざっくりいうとこんな感じです。「常識」的な人気のある方々の解釈とは「真逆」の非常に衝撃的な内容です。
わたしは自分に非常によく当てはまっていたので、愛先生の動画も講座を片っ端からインプットしました。

それを人に伝えるときには、もちろん、丸暗記の丸写しではなく(ご本人はあまり気にされていないようですが、わたしは著作権には気を使います)、自分の中で咀嚼して変換するわけです。単純に「欠損です」「幻想です」「あきらめた方がラクです」ということではない。という点に気付いていないと、ただの呪いに成り果ててしまう可能性がある。とわたしはおもいました。
「能力がない」「現実化できない」だから「あきらめなければならないんだ」と悲観的に捉えてしまえば、誰のせいでもないと伝えてみても、花がしおれるような気持ちになってしまうだろう。
それは本意ではないはず。だって、月の囚われから自由になってのびのびと生きてほしい、ということこそが愛先生の想い、願いだと思うから。
その想いや願いを大事にしてわたしはお客様にお伝えしてきたつもりなんですよね。

そして最新の気づきを言語化するならば。
月の惑わし自体がヒトに対する「Curse」ではある。
その「Curse」を「Curse」と見破った時点で「Blessing」に転じ得る。
ただし最終的に、「Blessing」を活かして生きるかどうか、「Curse」のまま生きるかは、ヒトが自らの意志で選択し、言動に反映させていくもの。
ということだと思っています。

。。非常に卑近な例で恐縮ですけれども。。。
整理整頓能力が欠損のわたしに当てはめてみると。。

欠損だから仕方ないじゃん→整理整頓を一切放棄する→放棄したってダメ人間じゃないもん→整っていない部屋を見て気分が悪いけれど気分が悪くないふりをする→ごまかしている自分が気持ち悪い→でも欠損だから仕方がない→気持ち悪いループ→自分が嫌いになる(幻想から脱したようで全く脱していない)

欠損だから仕方ないじゃん→欠損なりの整理整頓の仕方でいいんだ→自分がダメ人間だとは思わないでいい→気分が悪いなら片づけよう、そうでもないならそのままでいいじゃん→気分が悪いから片づけたいけどどこから手を付けよう→得意な人に頼めばいいじゃん→おお片付いたわ→気分が良くなる(幻想から脱している)

こんな感じで「整理整頓能力の欠損」という指摘を受けても、自分の選択で言動に違いが出ると思います。
その一つ一つの選択に、肉体をもって、地球上で生きている意味があるんだろうと。

占い、鑑定というのは、月星座理論に限らず、伝え方によって、受け取り方によって、祝福にも呪いにもなり得るということ。
このことを胸に刻んでおきたいと思っています。

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