夢をみました。
女性の店員さんが持ってきた茶色い布製のケースに2粒の宝石が入っていました。オパールでした。すらっとした卵形をしていました。白地にピンク系とブルー系という差があるだけで大きさも形もほとんど同じでした。指にあててみたりしてどちらが良いか選ぼうとしています。店員さんはどちらかを薦めてきます(どちらだったか忘れてしまった)。どちらも本当に美しいのです。わたしはどちらか一方を選ぶのではなく、両方欲しいと思いました。値段という概念はそこにはなかったです。ただその店員さんに対しては両方欲しいと伝える気持ちにはならなくて、その店のオーナー(知り合いらしい)と後で話をしようと思って、その場では手に入れるところまでいきませんでした。
いま憶えているのはここまで。
少し体調が悪い中で見た夢でした。目覚めてから、MIチューナー(741)を使い、しばらくして、宝石カードの存在を思い出しました。オパールがあったはずだと。
これは宝石ヒーリングカードです(美・ジュエルアカデミー)。
ヒーリングをしようと思ったのではなく、実物オパールを見たかったのだけれど、あいにく手元にオパールはないので、とにかくオパールを感じられるもの、という思考です。
さなぎのようだと思いました。ありとあらゆる可能性。付属の本にもそんな感じのことが書いてありました(たしか)。
全身の重さがふっと引いていくのがわかりました。しばらく眺めて朝の支度、出勤、と日常に戻りました。
それで、休憩時間中にTwitterのタイムラインを見ていて、この記事から、この記事にたどり着きました。
ファイル共有ソフト「Winny」の開発者として名を馳せ、その後の逮捕~訴訟~逆転勝訴という話題もあって、数多くの逸話をもつ伝説のプログラマー金子勇。一方、MBA(経営学修士)を持つ僧侶として、インターネット上に「超宗派仏教徒によるインターネット寺院 彼岸寺」を開いた松本紹圭。ふたりの対談から、仏教とプログラミングの意外な関係が明らかとなる。
ここでのキーワードは「開発」。「開発とは本来、新たな「気づき」を得る行為」。
ポテンシャルに自ら気付いていく。ということでした。
とにかく向き合い、やってみて、表に出してみて、反応を探って、改めて。。を繰り返していくというプロセス。
みえていなかったことが、わからなかったことが、みえて、わかっていく。ということですよね。
記事内のお二人は好きで夢中になれることを通して自然に踏んでいるというわけですね。
気づきの対象は自分や他人の能力かもしれないし
場所かもしれないし
世の中の仕組みかもしれないし
何でもあり
人生とは
人として生きるとは
要するに開発なのだと思いました。
スピでもよく言うじゃないですか。魂は経験をしたがっていると。
自己啓発系でもよく言うじゃないですか。行動しなければ始まらないと。
仕事でも、時間をかけて100%になってからではなくラフで未完でいいから早くシェアしたまえ、と言われていますよね。
つまりそういうことじゃないでしょうか。
特別な非日常ではない日常にこそ特別な気づきがある。
過去の自分が描いた自分ではないかもしれないけれど、ひたすら進めということなのでしょう。
おそれを振り払いながら。
(おまけ)
いまこの記事を書きながら、オパールは宇宙みたいだとも思いました。そして浮かんできたのはこんな感じ。
宇宙(マクロコスモス的な)はどんな宇宙(ミクロコスモス)も受け入れる
流行りの多様性とは、本当は、いまこことは違うタイムラインをも許容する、といったようなスケール感
・・・よくわからないけれどこのまま置いておきます。
いつもあまり推敲せずに書いている記事を読んでくださって本当にありがとうございました。