いつもと違う夏。いつも通りの夏。
わたしたちの目の前にはどちらもありますね。皆さまいかがお過ごしですか?
さて、いわゆる占いや自己啓発界隈では「キラキラスピ」「ゆるふわスピ」などという表現をよく見かけます。
どちらかというと批判的な文脈で使われています。
占いジプシー、セミナージプシーといった表現もまさにそれですね。
今日は「○○スピ」という言葉を批判的な意味合いで使う場合、
わたし自身が捉えている意味合いというか特徴のようなものをあらためて言語化しておこうと思います。
自分の頭の整理の意味合いが強くて、誰かを説得するために書いていないので、言葉足らずの部分も多いと思います。
また、今後、経験を積み重ねていく中で、加筆修正をすることもあると思います。
ご興味があれば、ご参考までに読んでいただけたらありがたいです。
「本人のチカラを活性化させることを目的とせず、
ひたすらに提供側のチカラを注ぎ込む(注ぎ込んでもらう)ことで問題解決を図ろうとする。」(結果として外側に依存的になる。)
「絶対的な光や陽や善の存在を前提として、それと繋がることだけに価値を見出し、
自分の心の中の闇は無視したり、全否定で外側から消してもらおうとする。」(結果として外側に依存的になる。)
「〇〇を持つだけで 〇〇を唱えるだけで 願望が叶うとする。」(結果として外側に依存的になる。)
「引き寄せ法則を理由に、何でもかんでも盲目的に自動的にポジティブ変換することを押し付ける。」
(ネガティブを味わい検討した上で、ポジティブな意味合いをも見出す、という過程を経ないので、
結果としてネガティブは残り続けるし、引き寄せの法則どおりネガティブな出来事が引き寄せられる。)
「引き寄せ法則(思考の現実化)を前提に、リスクを考えること=ネガティブ波動と捉えて放棄させようとするが、
最終的にリスクを負うのは自己責任と突き放す。」
(最終的に自己責任であることは間違いないし、失敗を恐れすぎないことは限界を超えていくために必要。
リスクの検討をした上で自ら納得した上で選ぶのが自立している人間のやること。
リスクを検討すると、そのリスクが現実化する可能性があるから回避すべし、
というのは恐怖心を恐怖心で上書きし、それこそネガティブ波動満載。賛成できない。)
「提供側が自分(物)にできることとできないことを理解していない、
扱える範囲を超えていると気づきながら意図的に伝えない。」
(例えばエネルギーバンパイアされている人が、慢性的なエネルギー不足に気付かない状態で、
必死に自己啓発に努めても、エネルギーが足りていないのだから、
思うような成果が得られないのは当然。
占いやカウンセリングでは、いわゆるエネルギーヴァンパイアのコードカットはできないのに、
励ましと時が解決するという美辞麗句で終わらせてしまう。
結果として本当の課題が放置される又は悪化する可能性がある非常に危険な行為。)
※「エビデンスの有無はあまり関係がない」
(何らかの権威が収集したエビデンス=客観的真実、とは限らない。
個々の事情(周波数)により合う合わないがあるし、「信用」されるためのコピペ列挙に終始している場合がある。)
※「表現の柔らかさとか、絵文字が多いとか外形的な表現ぶりはあまり関係がない」
(差別化、自分の優位性を保ちたいがためだけに、柔らかい表現をしている「〇〇スピ」を、キラキラスピだと攻撃的に揶揄するパターンもある。)
だいたいこのあたりでしょうかね。
提供側だけの責任ではないという思いがあるので、
視点が提供側と被提供側とでブレていますがあえてこのままにしておきます。
おそらく、「〇〇スピ」「スピジブシー」と揶揄する当の本人たちも、その手のサービスを使ったことはあり、
一時的に気持ちが落ち着いたり、何らかの知識やヒントをもらったりした上で、
いまその立場にいるのだろうと推察されるのです。
でもそこらへんのいきさつは全カット、あるいは裏ではいまだに使っている、というパターンなどあって、
なかなか興味深いなーと眺めています。
わたくし自身は、様々なサービスを受けてきて、そのおかげで今があると思います。
後悔ってあまりありません(ゼロではないw)。
ただ、今の自分にとって必要かと問われれば、それはNOです、と答えるものも沢山あります。
わたしにとっては調和を感じるサービスが、誰かにとっては不調和だという人もいるだろうし、
その逆だってあると思います。
あくまでも、自分の人生の主役は自分なんですよね。
他人のサポートはもちろん必要ですけれど、
上記に書いたようなキラキラスピサービスを使い続けていれば、
自分の人生の主役が誰かや何かにとって代わられてしまうと思うのです。
わたしが提供する占いサービスについても、
自分で気づいて自分で行動するきっかけを渡すものでありたい。
決して、依存させ、ひたすらお金を使わせるためのサービスにはしたくない。
心からそう思っています。
わたしが受ける占いサービスについても、
占い手の哲学がちゃんと見えるものを選び抜いて、
自己探求のため、これからも受け続けていきたいと思っています。
※2022年2月25日一部修正しました。