正直なところ。
わたし、「時間は命」だと思ってる。
肉体を持ち寿命のある人間にとって
イキイキと人生を過ごすためには
自分に与えられた時間を
どのように過ごせば
イキイキと人生を過ごしていると
感じられるのかを知った上で
なるべくその理想を現実化しようとすること
が大切なのだろうと思う。
のんびりしたり。
没頭したり。
ぼーっとしたり。
好奇心に従って調べたり。
考えを巡らせたり。
わたしの場合は
世間的には無駄と評されても良いから
どこにいても価値観を大切に
自分のお城を建てるイメージで
安心して全身が満たされる時間を
過ごしていきたいなあと
心から願っている。
そんなわたしが人と付き合う中で
違和感を感じるときは
この「時間は命」という感覚が
あまり共有できていない時だと
最近気づいた。
「時間は命」という感覚を
無理なく共有できる人とは
お互いを尊重しながら付き合えるのだ。
時間は命だとわかっていると
相手が費やしている時間の尊さにも
当たり前のように想いをはせて
自然と感謝の気持ちを持つことができる。
押し売りではなく
時間を割いて調べてくれたこと。
質問に答えてくれたこと。
たとえそれが
自分が望んだとおりの回答ではなかったとしても
「ありがとう」の一言を速やかに伝えるのは
わたしにとっては全然難しいことではなく
ごく当たり前のことすぎて
お願いや希望をほのめかして
他人を巻き込みながら
してもらったことに対して
とことん無反応な人に出くわすと
びっくりしてあきれてしまう。
「時間は命」は
わたしの人生において
積極的に守るべきコアな部分だ!
という認識でいる。
だから同様の振る舞いが
特段の事情もなく
何度か続くようならば
”「時間は命」の感覚を共有できない人”
フォルダに入れて
静かに距離を取ることにしている。
無視ではなく
ただ静かに距離をとることで
結界をはったように
その人に消費するエネルギーは
自然と徐々に絞られていく。
その人も
自分に注がれるエネルギーが
減ったなと感じるのだろうか?
こちらに積極的にアクセスすることが
だんだん少なくなる。
結果「時間は命」が守られる。
たとえ冷たいと思われようと
何度も言うように
わたしにとって積極的に守りたい
大切なことなので
行動をつぶさに観察した上で
フォルダに入れる判断を下すことに
迷いを感じることはあまりない。
これはこだわっても良いマイルールだと
心から思っている。
もしあなたも「時間は命」だと思っているのに
悪意なくても侵襲してくる人に困っているのなら
イメージ上のフォルダに入れて
静かに距離をとることをおすすめする。
もう一つ例を。
ハンドメイドの作家さんとか
アーティストの方に
衆人環視のSNSの場で
「原材料費が低いのに高すぎるわ」
「もっと安くしてもらえない?」。
と当たり前のようにのたまう。
たまに見かけるこういう言動も
「時間は命」の感覚を持たないからでは?
と感じている。
「労力」にも対価は発生する
という前提を共有できていない。
まあこれは「時間は命」の感覚以前に
世の中の仕組みを
謙虚に知ろうとしないから
かもしれない。
こういう方々とは、
残念ながら
尊重し合うのは難しい。
無知に気づかないし
指摘されてもへそを曲げちゃう可能性を
考えてしまうと
はっきり言って正直めんどくさい
と思ってしまうから
よほどの必要性がない限り
深入りを避けて距離をとることで
「時間は命」を守っている。
上から目線に感じられたら
大変申し訳ないけれど
占いをやるなら
それくらい我慢するのが当たり前
進んで受け入れろ寛容になれと
思う人もいるかもしれないけれど
「時間は命」という感覚を
共有し合える人たちとのお付き合いを
これからも大切にしていきたいなあと
わたし自身も相手の時間を大切に
振る舞っていきたいなあと
しみじみ思う今日この頃だ。
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