法哲学って意外とスピと親和性あるとおもった件

スピリチュアルに興味があり、かつ、深く考えている人であればあるほど、国家や、政府や、法律に対しては、ちょっとした敵対心なり、不信感を抱いているかもしれないなと思う。DSや支配層が。。の議論はさておき(ここでは肯定も否定も一切しない)、たしかにこれらの存在は、「公益」とか「利害関係の調整」という名分で、各個人の徹底的な完全な自由を制限する性質を内包しているから無理もない。

どうしてこれが法律違反なの?身体にいいものを作って売ることをどうして法律が規制するわけ?健康増進って法律で生き方を決めるのおかしくない?何で税金払わなくちゃいけないの?

わたくしは、一応法学修士号を持ち、かつ、短い期間ではあるがスピリチュアルという分野への興味を抱き、自分なりに好きなように探究も行っている者である。意図したわけではなく、まあ、今のところただそうなっている。

そのわたしが感じるのは、これらのごもっともで貴重な疑問のすべてを、「支配層の金もうけのため」とか、「官僚は政治家の言いなりだから」とか、「マスコミに洗脳されて盲目的に生きてるから」とか、そういうなんというか、薄っぺらい(ごめん)わかったようなわかっていないような(ごめんて)一言で片づけることに対して、背景事情を自分の言葉で語ることができればまだましだけど、そうじゃなくて盲信する誰かの受け売りでしかないのならば、それこそ一つの盲目的な捉え方ではありませんかね?自由を気取っているだけではありませんかね?ということ。

とはいえ、法学修士を持っているにもかかわらず、こういう本質的な話題に対して有用な切り口を持ち合わせていないことが情けないと思っていた。(哲学、宗教、といったリベラルアーツをしっかり学ばないとこうなるよという例。)

1週間前くらいかなあ、Twitterでみかけて、お!と思ってダウンロードして読み終わったばかりの本が、これからどうやって「法」と付き合っていくのか、それは、自分の世界観とも関わる永遠の課題だと教えてくれた。上記の疑問への「法哲学」的アプローチがとても新鮮で、何度も読み返したり、自分がみている現実世界に当てはめて思考することを繰り返すことで、わたしが持たなかった切り口が増えていくだろうと思ったし、頭ごなしに「法」を嫌ったり苦手に思っている人であればあるほど、きっと感じ入ることが多いとも思った。

あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン (講談社現代新書) 住吉雅美著

著者が「法哲学」の道を選んだ経緯等については下記の記載があり、これを読めば、スピ系の人も、「お、こりゃ面白そうだ」となる気がするのだがいかがだろうか。

「統治の不在」という発想に興味があって、政府や法律がなくても秩序は生じるのかということについて考えたいと思っていた。それで、法律の牙城の中でそういうことを考え抜ける「法哲学」、つまり法を哲学という思考法で批判的に検討する学の道に入ったのだった

法律は所詮、世界を回す諸システムの中の一つでしかないと考えている。このように法律を相対化することで、法律には託しえない人間のさまざまな〈生きる力〉に目覚めていきたいのだ。決まり事に従うのではなく、自分自身の頭で考えることで、私たちはより自由になる

もう一つ、これはどうだろう?

豊かで平和で安定していても、国民の言論や政治的表現の自由がいっさい封じられていたら、政府の不正がわかっても抗議できないし、そもそも不正を知ることもできない・・・・(中略)いくら日々の生活が満たされていても、そんなのはどこかイヤだ、たとえ辛いことがあろうとも、個人の自由を認める統治の方がずっとましだ、と思う人は、すでに「実質的正義」を要求している

これは?

アーキテクチャ、そして人の潜在意識に働きかける技術が進歩すれば、人の行動はどこかの誰かによって思いのままに誘導されることになるから、自由意思は無力になり、したがって法律や道徳といった規範も不要になるだろう。

法律の専門書といえば、辞書より読みにくいわ、と思う位にまどろっこしくて、一文が長くて、一言でいうと超辛い、という(わたしの)イメージも覆す表現満載だ。思わずくすっと笑ってしまうこの感じは、さくらももこか、群ようこか、というくらいだ。

・・・酒も文化そのものなのだよ!税収のための自家醸造の禁止は、まさに日本清酒文化の否定であるというべきだ。わたしは自分で酒を醸す能力をもっていないが、言論でこの悪法と戦ってやる!酒民的不服従じゃ!

どんな内容なのか、わかったような、わからないような、深い森に迷い込ませたなら大変申し訳ない。まあ目次をながめれば、だいたいどのあたりの論点が採用されているかわかる。Amazonさんの試し読みからでもチェックできるでしょう。中でも「無政府の状態」のシミュレーション世界の一例は興味深い。政府なんか!国なんかいらない!という人々は、自分が実際に生きていく前提でシミュレーションしていると思うが、この本でも、無政府資本主義の世界について、教育・警察・刑罰・戦争の4つの角度からシミュレーションされているので、ご自分のシミュレーションと比べてみるのも思考が深まりそうだ。

総じてこの本はお題に対して自ら思考するための題材だと思うといい。Aという考え方、Bという考え方、これらに基づくとこうなるけど、あなたはどう思う?どっちに共感する?と問いかけられる場面がいくつかある。

誰かが出した答えや、要約に頼り切りであると、結論だけを欲しがり、一切思考することなく、結局何が言いたいのかわからなかったという感想を抱くことになる。全部読み切らなくても、目次を読んで興味のあるところだけ読むので全然OKだし、読書感想文にまとめる必要もない。とにかく、現時点の、自分なりの、なんとなくの理解でもいいから、現実世界に当てはめてみることだとおもう。そして、自分がどう感じるのか、正否を徹底的に排除して味わうことに意味があるとおもう。自分が存在したい世界観とは何か、が見えてくるはずだから。

そもそも哲学というのは「正解」がない学問だと堂々と言える(だいたい師や先駆者の否定から入るでしょ?)。法律だって、どんどん改正されていく。政治家の公約だってすぐ破られることもあるでしょう?個人が支持する世界観だって変わっていいとおもう。わたくしだって、全部はわからないし、100%の自信で決めきることもできない。それでも、常識を疑わず、まったく思考せずに盲目的に生きることからは、意図的に脱しているという自負がある。Dignity(人間の尊厳)とは、まさに、他人のみならず自分の中の価値の多様さをも認め、その価値に基づいて自律的に選び取って生きていくことだとおもうから、これからもそうありたい。

推敲していない文章をここまで読んでくださり感謝。「法」を話題にしたけれど、哲学を介することで、スピ系の人たちも良く使う「世界観」とか「価値の多様さ」とか「正解はない」とか、馴染みのあるワードがてんこ盛りだったとお気づきだろうか?もしちょっとでも興味を持っていただけたら、なんか嬉しい。

うーん、そして、どうもこの手の話題を書くときは、表現が硬くなり、偉そうな感じになってしまうのだが、そういう人格が表に出てきちゃったということでご容赦いただきたい(鑑定モードとは全然違いますwちゃんと記憶ありますw)。

繰り返すがこれは説得するための記事ではなく、視点を提供するための記事。どなたかにとってきっと必要になる。何かしらの気づきにつながる。そう願うだけなのである。

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