農園を脱出し、無限列車から飛び降り、星を眺める。

2020年12月下旬。3本のアニメ映画をみてきました。約束のネバーランド。鬼滅の刃。えんとつ町のプペル。本当に良いものをみたと思います。非常に心揺さぶられ、もう泣きに泣きました。感動という言葉では言い尽くせない思いです。未曽有の変化を見せつけられた2020年の後半に、時を同じくして公開されたこれらの映画が、同じようなことを伝えてきていると思えてなりません。単なるフィクションだとは思えません。今日は、その受け取りを思いつくまま簡単にシェアしていきます。3本のあらすじを紹介したり、比較して分析するみたいなことはしません。だから、あらすじを知らないとわけがわからないかもしれません。でも、ネタバレと言えばネタバレだから、ネタバレを一切食らいたくない方はここでそっとお帰りくださいませね。

見かけの姿に騙されるな。

プペルの世界に人間を食べる鬼は出てきませんが、善人の皮を被って意図的に、あるいは意図せず、主人公を妨害する人の姿は多く描かれていました。鬼が出てくる他の2作品でも、鬼というビジュアルは強烈ですが、本当の黒幕は鬼そのものではなかったりします。元々は善の動機で始めたシステムを徹底的に不幸をまき散らすシステムに変えてしまったのは誰なのか。意識的に、無意識に、そのシステムに加担しているのは誰なのか。大義名分の類もしかり。世界を守る。本当に守ろうとしているのは何なのか。美しく崇高な言葉に隠されている意図という呪いもあり得るのだと思います。先の大戦で過ちはもう繰り返さないと誓ったはずなのに。騙されないためには、何より、自分自身を信じている必要がある。騙されたとしても、自分を否定せず、自分自身の判断で、最善に変えていく必要がある。導き手を待ってはいない。自分自身に柱があるかどうかなんですね。そして柱のある者同士が仲間になるんですね。

鬼は人間のかがみでもある。

鬼は元々人間だった、という設定(鬼滅)と、鬼は元々は細菌だった(約ネバ)、という設定が出てきますが、彼らも「完全なる悪」ではないわけです。特に約ネバでは鬼側の世界にも、一部の血筋や家柄による支配と搾取の構造がある。一握りの支配層の私利私欲のために犠牲になっている鬼たちが存在する。そして、支配された鬼たちも、長年その犠牲を良しとしてきた。いや、判断自体をしなくなってきた。それは食を通じたコントロールの結果でもある。現実の人間世界にも当てはまる部分が多い描写ですよね。(ここらへんは映画ではまだ触れられていないのですがね。。)鬼側を丸ごと切り取れば「善」属性の鬼も切り取られるわけで、約ネバはその矛盾を突いてくる。これは常日頃、人間世界でも善悪の二者択一トリックによって多くの「善」が葬られていることを想起させます。そのトリックによって得をしている存在があるということです。

力の出ない場所から飛び出せ。

あきらめた大人と、あきらめない子ども。無限列車でも、グレイスフィールドでも、えんとつ町でも、限界突破してみせたのは子どもですね。あきらめた大人たちが希望を託してサポートを提供する場面もそれぞれの作品で出てきますが、壁の、幻影の、町の外に出ると決めて動いたのは子どもでした。単なるフィクションでしょ?と侮るなかれ。先入観と一般常識という檻の中で長年過ごしてきたわたしたち大人には見えないものが見えているのは子どもの方。ソースエネルギーとのつながりを濃く持つのは偏見に染まっていない子どもだから、ありのまま以上の力が出せない場所からは出ていくことを選ぶのは自然なことかもしれません。大変な苦難を伴うとわかっていても、です。自分の子どもには危険な目に遭ってほしくない。そんな親の想いをも超えてしまうのかもしれません。主人公格の髪の毛の色。そういえば似ていますね。黄金。オレンジ。太陽の色だ。

さあ大人のあなたたちは一体どうするの?と問われている。

主役はみな子どもです。あの煉獄さんだって20歳の設定らしいです。壁に囚われたまま真実をしらないまま服従し続けますか?甘い甘い夢の中で思考停止したまま眠り続けますか?自分を信じられる人をねたんでその夢を妨害しますか?これらの問いに彼らは答えを出して行動していました。自由を求める行程で何度も訪れる選択の瞬間を乗り越え、自分の判断を正解にするためにもがいていました。時には夢の中とはいえ、自らに何度も何度も刃を立ててまで目覚めようとしました。枠にとらわれない力を持った人を異端視し、敵視することで自分の居場所をつくっていたけど、異端と同じものを信じる自分の存在に気づき、解放させました。すっかりぬるま湯に浸かった大人に真似をしろというのは酷かもしれません。わたしだってそうです。でも、これからの時代を生きる子どもらの盾にはなるし、サポートもするけど、邪魔だけはするまい。そう思いました。

おまけ。月との関連。

特に鬼滅の刃については、強い鬼のランクが上弦・下弦で表されていたり、太陽光に弱いという設定だったり、原作には月の呼吸なんていうのも出てきたり、1巻と最終巻の表紙を見比べたら月が消えている?し、「太陽になりたい月」「人がありのままを生きることから遠ざけるようにエネルギーを消耗させる存在としての月」というマドモアゼル愛先生の解釈と重なる部分を見出して、静かな衝撃に打ち震えました。鬼滅の刃についてはコミックス全巻読破はまだできていないので、部分的な理解にとどまっているとは思います。でも、これは見てよかった。当初はあまりの大ヒットぶりに、一体何をわたしたちにインプットしようとしているのかと勘ぐっていましたが、判断を変えてみてよかったです。

月星座を知ることは、エネルギーを消耗しがちな思考や固定観念を知り、あなたのリソースを大事に使っていく道しるべにするということ。あなたの今と未来のためのもの。

 

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