前記事からのつづきです。
「わたしらしさ」を超えた「わたしそのもの」と言えるジュエリー。
対面することができた節分の日。
とっても嬉しくて、すぐにSNSやブログに書きたかったのだけれど、
何か予感するものがあって、枕元に置いて眠ることにしました。
するとこんな夢をみました。
宇宙の果てに行って、地球に戻ってくる夢。
遠く闇の中に、色とりどりのオーロラのような帯が、
折り重なりながら、ゆらめいているのです。足元には、紫がかった赤色のラインが後方からすっと伸びてきているのだけれど、
わたしがいる場所でぷつんと途切れている。ここから先、あの宇宙の果てに行きたい。
でも、まだだよ。そうか。
まだ行けないんだ。
でも、かならず、あの先に行くからね。赤ちゃんのような魂のような何かを抱きしめながら、そう話しかけていました。
高速で赤色のラインをたどって、地球に還るのです。
ここを越えるとき、ちょっと苦しい感じがするよ。
でも大丈夫だからね。大気圏突入ってこんな感じなのかしら。
圧なのか重力なのかからだがぎゅっとなって。赤ちゃんみたいな何かを、みぞおちあたりで守りながら、
のどあたりがひりつくのを感じながら、
一瞬で通過して抜けてきました。その後は、高熱を出していた姪っ子の熱が下がって安堵している場面でした。
抱きしめていた赤ちゃんみたいなものは、わたし自身かもしれないなとおもいます。
わたしはよく夢をみますが、トップクラスに印象的な夢でした。
いわゆる形而上学に属する話だとおもうので、
100%説明できているとはおもいませんが、
とりあえず感じ取ったことがあるので、速報版としてシェアさせてくださいね。
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地球上では肉体を持ち、ある意味、固定化され、制限され、区別されることになっているね。
それはそういうものとして尊重する。
尊重するのだけれど、その奥に、その存在の裏に、
合一で無制限な何かがよこたわっていると実感することができていれば、
固定・制限・区別といった言葉を忌み嫌うことなく、
やたらと統合を意識することもなく、
地球上でのびのびと生きていくことができる。
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「固定され区別された個と、無制限で合一な何かは、おなじであること」を、
夢の中で体験したんじゃないかなとおもいます。
昔は、こんなフレーズにずいぶんと心惹かれていたものです。
願いを叶える◎◎
幸運に恵まれる○○
でもそれって、解釈次第では、使い方次第では、
ものすごく自分自身に失礼なのではないかな?
と今では思ったりします。
自分はできない、足りない、
だから外側の物質に何とかしてもらう。
全権委任してしまう。
それではいつまでたっても、満たされない。
だって自分が置き去りだから。
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わたしがわたしであること。
その尊さに気付き、わたしを精一杯生きていくことこそ、
何物にも何者にも代えがたいチカラを引き出す秘訣なのではないでしょうか。
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This is meなオパールに出会わせていただいて、
思いがけず「わたしそのもの」を実感することができました。
商業主義で飾り立てたり押し付けたりしない、変な介入の仕方をしない、
そんなキタユキさんのおかげさまだとつくづくおもいます。心から感謝。
キタユキさんは、オンラインショップでも、才色兼備なイヤカフなど展開されていますが、
オパールはもちろん、他にも様々なオンリーワンな石をストックなさってます。
キタユキさんの公式LINEやInstagram, Facebookにて、イベントや新作などをチェックしてみてくださいね。